7-4

 

 空の高い場所に、薄い雲が広がっている。鎖の鎧みたいだ。

 こういう模様が空いっぱいに描かれている風景をどこかで見たことがあるが、あれはいつ、どこでだっただろうか。

 

「ねえ、聞いてんの? スルガ」

 上空にぼんやり漂っていたスルガの意識は、隣からの鋭い声によって一瞬で地上に戻された。

「お、おう、聞いてる聞いてる」

 慌てて相槌を打つと、スミの顔面が下からずいと近づいてくる。

「さすがに、さすがでしょ、ねえ?!」

「うん」

 

 朝、溜まり場に向かう途中で、スミとアンナに会った。二人は、昨日の昼にライオネルを見かけたという仲間の情報を得たらしく、そのことで怒りをぶり返しているようだった。自分も夜に会ったということを言えば話は余計にこじれそうで、スルガは黙って二人の話を聞いていた。

「まるまる一カ月だよ、信じらんない」

「だよねぇ、ひどいよ」

「どこまで無神経なんだろ」

「スルガさん、ライさんの居場所って、心当たりないんです?」

「え」

 居場所、というのは何を指している言葉だろう。

 泊っている宿ならきっとスルガの宿の近くにある数軒のうちのどれかだろうし、その全ての部屋を片っ端から調べていけばいずれは彼の部屋にあたるだろう。入口が1つしかない建物だったら、ドアの前で二日も張れば姿ぐらいは見れるはずだ。

 でも部屋なら、スルガよりスミのほうが詳しいはずだし、なぜこんな質問をされているのだ。

 

(最近の狩場を聞かれてる? 臨公場所?)

 

 臨時パーティーの募集が盛んな場所は、プロンテラ南門を出た広場と、城壁内の南東にある元騎士団――ではあるが、そんなこと誰でも知っている情報だ。

 ソロの狩場も、スルガは知らない。自分の愛刀はカタールだが、ライオネルは短刀だ。それだって、同じ二刀型のスミのほうが、スルガより見当が付きやすいだろう。

「いやぁ……分かんないわ」

「マジでどこにいんだろね、アイツ!」

 

 そもそも、ライオネルに会って、スミはどうするつもりなんだろう。おそらく、彼女のしたいようには、あの男は動かない。会ったところで、話に応じるとも思えないし、仮に話し合いができたとしたって、スミやアンナの常識でいうところの落としどころに、大人しく従うわけがない。どうしたって平行線だろう。

 彼女らが、どうしてそういう根本的な点をすっ飛ばして話を上に積み上げるのか、スルガにはさっぱり分からない。これが、あのアサシンの言うところの『あっち側』の言い分なのかもしれない。都合のいいときだけ、ライオネルの侮蔑的な意見が頭をよぎった。

 

(俺は今、そうとうダブスタなこと考えてる……)

 

 そういうしているうちに、いつもの溜まり場に到着した。スルガは内心ホっとする。

 すでに人が集まっていて、どこに出掛けるのか地図を開いて相談しているようだった。

 人だかりのひとつにすぐツイードの姿を見つけ、心が浮かび上がる。仲間には適当に挨拶を済ませて、スルガは彼の側に寄った。

 

「ちわー」

「おはようございます」

 冴えない夜と朝を過ごした後のツイードが、スルガの目にはひときわ輝いて目に映る。重ための前髪をゆるっと傾ける朝のツイードは、夜よりもぼんやりしていてとてもいい。

 ツイードは、スルガと一緒にきた女性陣2人にちらりと目をやってから、「おつかれさまですね」と絶妙にぎりぎりな言葉で労った。

 よく分かったな、とスルガは彼の観察眼に目を見張る。

「……ツードさんって、鋭いですよね」

「そうですかね」

「でも、ちょっと意地悪ですね」

「性格悪いっていうんですよ、こういうのは」

 ああ、そうか、とスルガが頷けば、ツイードは隣でくすりと笑った。最近の、機嫌がいいときに見せるツイードの笑みだ。

 

(めちゃくちゃ可愛い)

 

 スルガはさりげなくツイードの横に近づき、彼にひそかに囁く。

「ツードさん。俺、今日、二人で飯いきたいです」

 一瞬、こちらの行動を不思議がっていたツイードだったが、スルガの提案を聞くとすぐに話が分かったようだった。

「いーですよ」

「やった」

 彼の表情は、なんだか悪だくみをしている子供のように見える。

「でも、飯だけですか?」

 スルガは、え、とツイードと目を合わせた。さきほどからツイードが浮かべているいたずらっぽい笑みの意味に遅れて気づいて、スルガは慌てて返事を考える。

「あ、えっと、……宿、取ります?」

 こういう時の正解な態度が分からないまま、スルガの返答は手探りだ。ツイードが同じことを考えているのは嬉しいし、目論見が読まれているのは気恥ずかしいし、いやそりゃそうだろ当たり前の発想だよという客観的な気持ちと、これってあり?あり?やったぁ!?と思うバカ正直な気持ちが、脳の冷静な思考の面積を圧迫していく。

 ツイードは「んー」と視線で空中に弧を描いた後、正面を向いたまま頭だけをスルガの耳に少しだけ近づけて言った。

「俺、スルガさんち、見てみたいなぁ」

 ツイードの吐息まで聞こえた気がして、片耳だけが熱い。スルガは血の集まった耳を咄嗟に手で押さえ、またうるさく鳴り出した心音の中、返答を絞り出した。

「…………じゃあ、俺んちで」

「了解でーす」

 

 仲間たちが、行く先を決定したらしく集合をかけている。それにどこか心ここにあらずのまま、先に行くツイードをスルガは目で追った。