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 東プロンテラの雑多な酒場通りの一角。割とよく来る店のカウンターで、オレンジ色のランプをぼんやり眺めていたツイードに、後ろから声がかかった。

「よう」

 通りのいい声。振り返れば、サラエドがそこにいた。溜まり場常連の一人であるハンター、マシューの弟である。少し年が離れてはいたが、小さい頃から兄の友人たちに混ざって狩りをしていたせいか、年齢以上に大人びたところがあるハンターだ。時折、癖のようにでる末っ子みたいな仕草とその落ち着いた雰囲気があいまって、独特の馴染み易さと近寄り難さがあった。そんなところをツイードは気に入っていて、マシューとは別に個人的な付き合いでよく飲みに出たりする仲である。溜まり場連中とは来ないこの酒場を彼が知るのもそのせいだ。

 そういえば、ここ一ヶ月ほど彼の姿を見ていなかったなと、本人を目の前にようやく思い出す。

 隣の席について、手馴れた調子で麦酒を頼む彼はとても十代に見えない。

「なんだお前、兄貴のコスプレみたいな格好して」

 その日のサラエドは、薄緑がかった髪を短く切り込んで、ふちの黒いアンダーフレームの眼鏡をしていた。伊達だろう。マシューは同じ髪型の青色で、オレンジのファッショングラスがトレードマークである。

「楽でいいよ、この髪型」

 へらりと掴みどころのない笑いをして、サラエドは出されたジョッキに口をつけた。

「ああ、そんなことより、聞いたぞ、ツードさん」

 一杯目をいっきに飲みきらないまま、彼はかっこうの遊び道具を見つけたという瞳を隠しもせずにツイードの肩をつついた。

「スルガさん」

 ニンマリ微笑むサラエドから、ツイードは思わず視線をそらしてため息をつく。言われるだろうとは思っていたが、実際、彼のような付き合いの人間から、その話題をふられるのは苦しい気分だった。

「そんなに切羽詰まってたのか」

 独り言のように呟いたサラエドの言葉が聞き捨てならず、ツイードは聞き返した。

「誰が」

 睨めば、その真意が分からないでもないくせに、きょとんとした顔をみせて、彼は答える。

「スルガさんが」

 そうかわされて、ツイードは少しムキになった自分を咄嗟に馬鹿だと思った。思考の幅に余裕がなくなってきている。後からじわじわと恥ずかしさが湧いた。

「まさか告るとは思ってなかったけど、あんたがオーケーしたことのほうに吃驚だね」

「思ってなかったって、知ってたのかよ、お前は」

「んー、まーね」

 適当な返事をしてサラエドはジョッキに入っている分の酒を飲み干した。

 こんなところにまで知られていたなんて、と、スルガの筒抜け度合いに、ツイードは渋い顔で額を押さえる。どこまでオープンなんだ、あのアサシンは。

「周りから固められてたのか…」

「そんな作戦まで張れる人じゃないけどな、スルガさん」

「いや、気づかなかった俺が悪い」

「だな」

 慰めもせず、サラエドは相槌を打った。終わってしまったことは仕方ない――彼の横顔にはそう書いてあった。ツイード自身、同情を求めたわけではない。

「んで、どーなの、新婚生活は」

 後ろに団体ギルドが入ってきたらしく、酒場はざわついていた。その喧騒にまぎれてサラエドが酒の肴になりそうな話を求めてくる。

 新婚だなんて、わざわざ大げさな単語を使ったりなんかして、彼も性格が悪い。相変わらずだ、とツイードは含み笑いをしながら、その話題に乗ってやった。

「どっちかってと、アコライト同士の初交際って表現が近いんですけど」

 スルガと付き合いだして、一週間と半分ぐらいが経っただろうか。実際、話して聞かせるようなことなど何も起こってない。

 初めの夜に少しあれこれがあって以来、拍子抜けするほど進展がなかった。変化と言えば、一緒に狩りに行く回数と、夕食をとる回数が増えたこと、あと外野の冷やかしくらいだ。周囲のあからさまにニヤニヤした気遣いが多少煩わしいのは覚悟していたけれど、肝心のスルガ本人の態度はそれほど回りくどくなかった。三日に二回程度の狩り。食事に関してはそれの半分ぐらい。周りからも不自然と思われず、かといって必要以上に間合いを詰めるわけでもない、適度な頻度だと思う。

 まったく何もしないとなるとお節介焼の仲間たちが、何かくだらない理由をあれこれつけて無理やり自分たちを二人きりにしたがることが、ツイードにとって一番面倒な問題であったので、それが回避できている今の付き合い方は、意外なほど心地よかった。

 もしかして、この状況はスルガの意図的な計らいなのだろうか。『そうだ』とも『そうじゃない』とも言えるだけの情報がツイードの手元にはない。

 

「スルガさんも馬鹿じゃないってことじゃないの」

 しばらく黙っていたツイードに、サラエドが分かったような口をきく。何を生意気な、と思われる事が目的のようなものだから、彼はたちが悪い。

「いや、俺はよく知らないけどねー」

「適当なこと言うの、ほんと好きだなお前」

「適当に生きてますからね」

 ころころ変わる外見が、彼の内心を分からなくさせる。ツイードは元々、こういった飄々としたタイプの人間が好きだ。スルガのような、本音全開の暗殺者なんてバランスの悪いものじゃなくて。だったら何故、自分はあの男の誘いにそそのかされたのか。

「……。……立ち姿がさ」

「うん」

 口から漏れた呟きに、サラエドが相槌を打ったから、ツイードはその続きを飲み込むタイミングを見失った。仕方が無い。ずるずると声に出してしまう。

「きれいだったんだよなぁ」

 床に向けられた視線、まっすぐ通った背骨。振り下ろされたカタールとアサシン装束。

 あの姿だけは、何度見てもいい。

「え、何これ惚気?」

「ちがう、言い訳だ」

「どの口からそんなもん出てくんだっての。俺びっくりしちゃったよ」

 サラエドがここで初めて溜め息らしきものをついた。

 『ちょっとしっかりして下さいよ』と苦笑まじりに彼の肘でつつかれて、これが今までの順当な反応だよなあとツイードは思う。

 スルガの件に関しては、暖かい祝福なんかより、呆れ半分の忠告が欲しい――そう思っている自分がいた。この奇妙さに怪訝な顔をしてくれないと、まるでツイードが本当に恋愛してるみたいじゃないか。

 

(いや、本当に付き合ってんだけどな)

 

 一緒に傍観者になってくれる友人がいないと、頭がすっきりしない。舞台と幕の内の線引きがいつまでも曖昧なままになる。

 どうしてスルガと付き合っているのか、理由と目的があやふやに飲みこまれてしまう。しっかりと、掴んでいなければ。せめて自分ぐらいは自分自身を理解していなければ。思い出させてくれる友人は大切だ。

「サラ」

 彼の名を呼べば、ん?とサラエドは顔をあげた。何か思い浮かんだ感謝の言葉はどれも独りよがりで、口にする気にもなれずツイードは違う話題をふった。

「お前は何してたの」

「俺?」

「しばらく顔、見せなかったろ」

「へへ、それがさ」

 待ってましたと言わんばかりの彼の笑みを見て、なんだそっちこそ持ちネタがあるんじゃないか、と、ツイードは自分の下らない話をして損した気分になる。

 楽しそうに話し出すサラエドの横で、ツイードは呆れながら苦笑し、友人のためのあらゆる返し文句を考えながら自分のグラスに手を伸ばした。