自分から言いだしたのだから、これはデートだ。今更ながら、スルガはその事実を思い出し、冷や汗をかく。
ツイードの思考パターンが初めて読めたという感動に浮かれて、選択を誤ってしまったとしか思えない。
スルガは、ツイードの手を引いて、噴水広場のほうへと歩いていた。あの十字路で、自分の宿にも相手の宿にも通じていない道が、その道しかなかったためだ。咄嗟に選んでしまった。
ツイードの挑発に乗って、デートだと大見得を切ってしまった焦りから、せめてデートらしくと彼の手を握ったのも、間違いだった。お陰でさっきから手にも厭な汗をかく。繋いだ部分から、急に大きく脈打ちだした鼓動がばれてしまいそうだと、スルガの心は平常心を保てない。
スルガはツイードより一歩前を歩いているため、仲良く手を握るというより、彼を引っ張っている格好になっている。ツイードの隣をゆっくり歩くだけの余裕が、今のスルガにはない。
ツイードは何故か黙っていた。
カツカツと、靴が敷きレンガを鳴らす音が、夜の建物に響く。
夜がまだ深けきっていないのが幸いだった。通りにところどころ並ぶ宿屋や飲み屋などからは、人々の喧騒が聞こえて、それが幾分か気を紛らわせてくれる。
夜の噴水広場は、恰好のデートスポットだった。閉められた露店の前や、ベンチのあちこちに、身体を寄せ合った男女が点在している。スルガはカラカラの咽喉の唾を無理やり飲み込んで、更にツイードの手を引いて歩く。
広場はそのまま直進で抜け出て、王城の堀あたりまで来たとき、ツイードが「ちょっと」と声を上げた。
「どこまで行くんですか」
いつまでこの格好をさせる気だ、と彼の目は言っていた。
さっきから、ツイードの感情が読めることがスルガの興奮をちっとも収めてくれない。全能感のような、そういう錯覚に陥ってしまう。
「人のいないとこっ」
カップルがいると何か気まずいから、という意味でスルガは言ったのだけれど、発言してしまった後で、今のは何か誤解を招くような言い方だったかもしれない、と不安がよぎった。
案の定、ツイードは「ハァ?」と声には出さずに顔を歪めたが、しばらくしてから、ぐっとスルガを引き、立ち止まった。
その力にあっけなく、スルガの足も止まる。
歩みを止めてみれば、自分が少し乱れた呼吸をしていることにスルガは気付いた。アサシンの息が上がるのだから、ツイードには早すぎるペースだっただろうか。
「あのですね」
ツイードが溜息をつきながらも、落ち着いた声で言う。
「何を焦ってるのか知りませんけど、今日は何もしませんよ」
月明かりに照らされて、ツイードの長い前髪から覗く瞳が、ちかりと光った。牽制だ。今のスルガには理解できる。『何もしませんよ』
(随分な言い方だなぁ)
これはデートなのだから、別に何かしたっていい。理屈的には。スルガは驚くほど冷静にそう思えた。論法が見える。ツイードは、次の手を窺うように、こちらを見ていた。
「何もって、何ですか?」
スルガは目を逸らさずにそう言う。
「何か、するんですか?」
矛盾するような言い回しになった。けれどたった今「しない」と言ったばかりの男は、それでも言葉に詰まって眉を寄せた。効果のある一手だったらしい。
しばらく、間があいた。
じっとスルガを見ていたツイードの強い眼差しから、ふっと力がぬける。
そしてツイードが、声に出るほどの分かりやすい溜息をついた。
「……なんなんですか、今日のスルガさん。強いんだけど」
ツイードは首の後ろをかいたあと、お手上げだとでも言いたいのか肩をすくめてみせる。
「なんかあったんスか」
拍子抜けするほど気の抜けた態度だった。
振りほどかれたツイードの手が、法衣の内側を探る。しかしお目当ての煙草は無かったらしい。軽い舌打ちをするツイードに、スルガは自分のポケットから煙草を取り出して、それを彼に渡した。「あ、どうも」とツイードが礼を言う。
「俺、普段、そんなに弱いですか」
スルガが率直にそう尋ねると、ツイードは火をつけた煙草を銜えたまま、くは、と笑い声を漏らした。
「あっはは。すごい質問ですね」
「ツードさんが、先言ったんじゃないですか」
ツイードは堀際の芝生に腰を下ろした。それに倣って、スルガも地面に座る。
「言いましたね、俺。言いました。そうですね、強かないですね」
「やっぱ、弱いんじゃん……」
ツイードの口から吐き出された紫煙が、夜のしけった空気の中を漂って行った。スルガはちらりと、ツイードを見る。その視線に、ツイードはスルガのほうを見て、そしてニヤリと微笑んだ。
「でも、今は強いよ」
ちょっと敵わないかも、とツイードは言う。けれど、その笑み自体がスルガには余裕の有り余っている表情のように映った。さっきは、やっと彼の尾を捉えたかと思ったのだけれど、やはりツイードはするりとスルガの手を抜ける。
敵わないのはどっちだ、とスルガは自嘲ぎみに片頬を引きつらせた。
「これって、デートですよね」
スルガは煙草を燻らせるツイードへ、確かめるように尋ねる。ツイードはほとんど表情を変えないで、「そうですよ」と返事をした。
「じゃあ、何ができるんですか」
スルガの質問に、ツイードは答えない。スルガは続けて、ツイードに言う。
「何かできるんなら、したいんですけど」
ツイードはゆっくりと煙を吐き出してから、「やっぱ強いなぁ」と独り言のように言った。それから彼は、スルガの顔をはっきりと見る。
「だから、今日は何もしませんって」
「デートなのに?」
「あ~なんだなんだぁ? スルガさん、どーしちゃったんです?」
茶化すようにツイードが声を上げた。スルガがムっとして、次の言葉を言おうとした瞬間、ツイードは弁明するように手を横に振る。けれど俯きながら大きく腕を振るその仕草は、少し投げやりな風にも見えた。
「ちがうちがう、あのですね」
まいったなぁと、ツイードが顔を上げる。
「ねえ、スルガさん、ここはキスで手を打ちませんか」
ぐっと、ツイードが前に乗り出してきた。突然に縮まった距離に、スルガは言葉を失った。間近で、ツイードの赤紫色の目がじっとスルガを見上げる。
「……それならいいでしょう?」
動くツイードの唇を、スルガは自然と目で追ってしまう。それに触れてもいいのだという許可が、たった今下りた。
「……駄目です」
スルガはそう答えながら、しかし自然に、まるで引き寄せられるかのように、ツイードの唇に口付ける。そっと触れたはずの唇は、スルガが前にのめり込むと簡単に開き、中の柔らかい舌を吸い出すことができた。唾液の感触が、中毒的な心地よさを生む。何度かそれを舌で撫で上げ、軽く吸い、気付けば存分に味わってから、スルガはツイードを開放する。
は、と目の前で、ツイードが呼吸を求めた音がした。
「……。なんでしたんですか」
「え、ツードさんが、いいって、言ったから…」
「でもスルガさんが駄目っつったんですよ」
そうだな、とスルガは内心で頷く。それは分かっている。キスで手を打とうと言ったツイードに、自分は駄目だと断った。頭では理解できるのに、衝動には抗えない。
いや、こうは考えられないか。手を打つ気はないが、キスはしたい。
「ツードさん、もっかいしていい…?」
「駄目です」
ツイードは、ぴしゃりと断った。近づきかけていたスルガの顔は、ツイードの手によって押しのけられる。
「今したでしょ」
「うん、だから、もう一回」
「なんでそんな発想になるんだ? あんた、大丈夫か? 酔ってんです?」
ツイードは疑うような視線で、スルガの瞳を覗き込んだ。頭の具合を心配されて、スルガの浮遊した思考もわずかに落ち着きを取り戻す。
「いや、でも、できるなら、したいって意味で…」
「……」
「嘘です、調子のりました」
「はい、よろしい」
ツイードの、どこか白い目線が、スルガの頭に上った血をどんどんと引かせていく。
過去に自分が言った言葉が、スルガの脳内に駆け巡った。
あのルティエのダンジョンで。ツイードの目を見ながら言った言葉。
『そういうの、あんまり考えないで、俺と付き合ってくれませんか?』
(あー…でもやっぱ、したいのかも。ツードさんと……セックス、とか)
ぼんやりと、うまく回転しない頭のまま、スルガはそう考える。
この内側から急かされるような感情が、性欲でなくてなんだというのだろう。さっき口付けた唇にばかり目がいってしまう。血管が、咽喉で感じられるほど脈打っている。
すうっと、また、ツイードが煙を吐いた。その横顔を見ながら、言えるわけない、とスルガは思う。言えるわけない。
この状況で。言えるわけがない。
(俺、もしかして、最低やろうかも)
唇に、ツイードの感触だけが残った。