冒険者なんて言えば聞こえはいいが、結局のところは大半をその日の風に任せてしまうような職業である。
最近こそ、過去の経験から学んで身近な人間に手を出さないようにしていたものの、その日パーティーを組んだ人間と流れで行きずりに寝てしまうなんていうことが、ツイードにはままあった。おそらく、ちょっと抜けたところのあるスルガだって、いくら清純そうでも恋愛倫理に関して言えば、程度はさして変わらない同類だろう。
宿までの道、たわいも無いことを話すスルガに相槌を打ちながら、ツイードは今日のこれからのことより、来週、再来週先のことを考えていた。
ルティエのダンジョンで、ふとスルガに触れてみたいと思った感情を、あまりにストレートに受諾しすぎたなぁと内心すこし反省する。僅かな欲求に対して、短絡的だったかもしれない。
例えばこのまま破局したとして、溜まり場の連中にはなんて話そう。始まってもいない恋の行方をさぐるのは、とても変な気分だった。
不思議と、スルガを愛するだろうという予感は、ツイードにはなかった。教科書的な、一般の意味での恋愛の、愛だ。
そういう長いスパンで、周囲に認知されたまま、お行儀よくお付き合い――なんて、できる気がしない。
正直、行きずりのほうが気が楽だ。
今まではなんとなく、自分は男だから下心があって、だからこんな下衆い発想をするのだろうと思っていたが、スルガ相手の場合だと、その言い訳が使えない。男だからではなく、単純に自分が下衆だということになる。
いや、はたして、自分はそれほどまで劣悪な類いの男なのだろうか。
ただ、よく往来で耳にする恋人たちのような感情を、自分がスルガに抱くとは思えない。
そこまで考えて、ツイードはふと、そういえば今までどんな人間に対してもそんな気持ちを抱いた事がない、という事に気付く。
と、なれば、今まで数人と拙い交際を繰り返したが、あの人たちのことは愛してなかったのだろうか、とツイードは自分に問いかけた。恋人たちが囁きあう愛。
そもそも、愛というのは、一体何か。
「だからもうベルト挿しでいいんじゃねえのって最近、つい誘惑が。重いもん持つのは慣れてるし。転売は出来ないだろうけど、どうせ俺がずっと持つわけだしなぁ…とか」
頭の中で回っていた下らない哲学みたいな考えを一旦捨てたところで、スルガの言葉に意識が向いた。我に返って聞いていると、さっきから話題は随分すすんでしまっていたらしい。聞いていなかった間の話を推測で補いつつ、ツイードは妥当な返事をする。愛がありすぎず、なさすぎずの、そんな返答。
(また、愛か)
なんだか思考が堂々巡りしている気がする。
「二刀と違って、カタールは一択だから、武器を考える楽しみとかは無いですよね」
「でもまあ、んなことも言ってらんないしなぁ。ツードさんとかも装備固定でしょ?」
「俺なんかは、戦闘中のスキル選択がありますから。次、何かけてやろうかな、っていう」
「それはそれで誘惑の多い選択ですねー」
「あと一撃当たったら死ぬだろうけど、ヒールよりグロリでも確率は半々かな、みたいな」
「ひでー!」
スルガが笑って、夜の街にはその笑い声が昼間より少し大げさに響いた。
彼が名を告げた宿屋が、もう視界に入ってきている。スルガもそれに気付いて、ちらりとこちらに目をやった。
その視線が、何を期待しているのか、ツイードには分からない。
分かっているのに分からないふりをしているわけではなく、本当の意味で分かっていない。この男が自分との関係を、どう詰めてくるのか、想像が付かなくてむしろ興味がある。
まさか送り狼を期待しているわけではないだろう。セックスを理由に断ったツイードに、そういうのは後回しで、と返したのはスルガのほうだ。
肉体関係に対して躊躇うような純真さは持ち合わせていないが、今、自分の感情の詳細を理解してもらえる宛もまったくなかった。細かいことを説明するのは面倒なので、するかしないかの二択なら、しない。
考えながら歩いているうちに、スルガの話はいつの間にか止まってしまった。
会話が再開しないまま、宿の入り口にまで辿り着く。
「あ……ここです」
スルガは立ち止まり、しばらく間があったが、ツイードが「それじゃあ、おやすみなさい」と踵を返すと、案の定なのかスルガの引き止める声がした。
「ま、待ってください」
ツイードは足を止めて、振り返る。
彼が何を言う気なのか興味があって、呼び止められたまま黙っていた。
スルガは言おうか言うまいか思案している様子で、落ち着きなく視線で床を往復している。
『泊まって行きませんか』では、無いだろう。ツイードは躊躇うスルガを眺めながら次にくるセリフのシナリオを考える。
『また明日』なんかじゃあ、ヘタレすぎる。これを言うためだけにこんなに挙動不審になるぐらいなら、これから先が思いやられやしないか。そんなはずはない。
(無難にキスかな)
ツイードの結論はスルガが言葉を発する前に出た。
溜まり場の連中の傾向からいえば、ここでキスだけというのも手が遅いぐらいだ。一度断った理由のこともあるし、スルガの性格からいって、これで恐らく間違いないだろう。
ずっと地面を這っていたスルガの目が、そこでようやくツイードに向いた。
彼の口が開き、ツイードが頭の中で次のセリフを先読む。『キスしても』
「だ…」
しかし、やっと開いたスルガの第一声がその音だったので、ツイードは鸚鵡返しに尋ねる。
「だ?」
だいすきです?
まさか。そう思う前にスルガが言葉を続けた。
「抱きしめて、いいですか?」
「え…」
ツイードの思考は一瞬止まった。
(……。ふぅん、そう出るか……)
ツイードはなんだか妙に感心してしまって、まじまじスルガを眺めていた。告白前後にかわした言葉を、彼は律義に守っている。お付き合いのステップを、そんな初期のところから始めるのか。慎重というよりは、丁寧だなという印象を持った。
自分の提案に肯定も否定もしないこちらの態度を見て、スルガは後者と取ったらしく、慌てて言葉をひるがえす。
「あ、いや! ダメなら」
別に、と言いかけた彼を、ツイードは遮った。
「俺からなら、いいですよ」
「へ」
スルガは意外そうに顔を上げたが、ツイードの予想以上に動揺しなかった。
「あ、じゃあ、……おねがいします?」
素直にそう言われ、『なんだこの状況』と不可解な気分になりながらも、ツイードは腕を伸ばしスルガの肩に手を置いた。
半歩前に踏み出す。身長が同じぐらいなので、抱きしめにくい。
後頭部を抑えてスルガの体を自分側に引き寄せると、首元から人肌の匂いがする。
スルガは自分の腕をどこへやったらよいか分からないらしく、ただ立っているだけにしては不自然な位置まで手をあげたものの、その場でかたまっていた。
(……硬い。いや、案外柔らかい?)
人を抱きしめるのが初めてというわけではないが、これほどゆっくりと意識して手順を踏みつつ抱きよせた経験は、考えてみると過去にはなかった。
男だろうと、女だろうと、こんな行為は普通にするじゃないか。思いはしたが、ただ抱きしめるためだけに抱きしめているこの行為は、不必要な気恥ずかしさがある。おそらく、相手もこの不思議な気まずさを感じているのだろう。それでも、触れた身体越しに、彼の心臓の脈を感じる。
人肌の温度が、夜の空気に心地よかった。
(……うーん)
痛いのは嫌だが、気持ちいいのは、好きだ。
キスぐらいならいいか、という心構えであったものだから、なんだか肩透かしを食らった気分でもある。
(ちょっとぐらいなら、いいよな)
スルガの匂いがする首元を見つめながら、ツイードは冷静なつもりで冷静じゃないことを考えた。
プリーストのくせに、自分はまったく倫理観が緩い。下らないことを考える余裕はあるくせに、自制するだけの意気地はない。
「……」
何の断りもなく、スルガの首筋に唇を寄せる。隠れて悪戯をするような高揚が相まって、場所が場所だけに、こっそり血を吸うヴァンパイアを連想してしまった。
吸い付いたせいで、ちゅ、と音がなる。
ピク、とスルガの身体が一瞬、収縮した。
「な、なに……」
口付けられた場所をスルガが手で抑え、寄せていた体は自然と離れていった。
「ああ、ごめんなさい」
ふいに、今のは自分が悪いなとツイードは思って、するりと謝罪が口から出た。
しかし、彼の目を見て物を言う前に、スルガに力強く腕を引かれる。
「あ」
力に抗う暇もなく体重を傾けると、唇がスルガのそれに触れた。
腕を引かれた力には驚いたが、行為自体にはさほど驚かなかった。
ゆるっと唇に彼の舌が触れる。それにぞくっとした。気づけば無意識に受け入れて、自分からも彼の舌を追ってキスを深めていた。
絡めて、口内を吸われると、軽く酒が入っていたせいもあって、心が浮遊感に加速していく。ああ、そういえばキスってこんなんだっけ。しばらくしていなかったので、感覚を忘れかけていた。
ぼんやりとしてきた頭が、さすがにまずいと我に返り、ツイードから身を引いてその口付けが終わる。息をついて、濡れた唇をぬぐった。
「ッ、すみませ……!」
慌てたスルガがさっきのツイード以上に謝ったが、煽ったのは自分だという自覚があったから、いやいや、と彼を手で止めた。
「うん、まあ、今のは仕方ない、ですよね」
なんだか自分に対する弁解みたいだ。遅れてやってきた地味な焦りを内心で押さえつけて、ツイードはスルガの顔を見た。彼の頬は朱く染まっていたが、眼光は強いままだった。瞳の奥を、覗き込まれているみたいだ。
「じゃあ今度こそ、おやすみなさい」
「あ、はい。おやすみなさいっ……」
スルガが答えたのを確認して、ツイードは踵を返した。
夜中とは言え、一般街道で何をやっているんだ自分は。宿屋とスルガに背を向けてしまえば、彼が見送る視線を受けている最中であっても、冷静にそう考えることができるのに、さっきは急に降って湧いた誘惑に抗えなかった。
じわじわと、スルガが好みのタイプであるんじゃないかという予感が頭の隅から染み出てくる。
ただ彼が男であったから、気付かなかっただけで。
もしかすると、本当にそうかもしれない。
(まずいなぁ……)
何故か、それは嫌な予感のような気がした。
付き合うことになった人間を、好きになる予感のどこが悪いというのだろう。ツイード自身、自分でも分からない。
ともかく、判断力を失うのはよろしくないだろうと、先ほどの思慮浅い行為を、少しだけ反省する。
夜も更けた街は首都といっても足元が暗く、宿や店の窓から漏れ出てくる四角い明りが、点々と地面を照らしている。酒が抜けきらないような、重さを持った熱が脳の一部に居座ったままだ。
後方ではまだ、スルガが自分を見送っているのだろう。
ツイードはそれに、振り返らないまま帰路についた。