ミョルニール山脈の北奥地にある鉱山の炭鉱。かつてはミョルニール炭鉱として多くの鉱物や石炭が排出されたが封鎖されてもう長い。そこにモンスターが住み着きダンジョンのような巣窟と化してからは、その廃鉱は冒険者のかっこうの狩場となっていた。
スルガも幾度となく溜まり場の仲間と訪れたお馴染みの探索ポイントだ。
狩りメンバーは毎回変わるので、目的地に着くまでの道のりでパワーバランスを確認しつつ試し狩りをしながら歩くのが溜まり場パーティーの常だ。その日も仲間たちはいつもの調子でずんずんと深層へ進み、慣れた狩場に到着するころには今回のパーティー内で誰がどのポジションになるかおおよその感覚が掴めている状態だった。
二人居るプリーストのうち、オーフェンはもちろん相方のハンター、マシューの支援にまわるから、後衛だ。
となると、先陣を切る前衛組、スルガたちの支援は、自然とツイードの役目になる。
少しだけ心が浮き足立つ――なんて喜んでいる余裕が、スルガにはない。
この場所はモンスターの湧きが多く、相当な頻度で修羅場になる。
襲い来る敵が次から次と後を絶たないから、処理速度によっては溜まりが出来てしまうのだった。
「行った! そっち行った!」
既に三体のスケルワーカーをスルガが相手にしている状態のとき、後方からスミの声が飛ぶ。彼女自身も相当数の敵を抱えているようで、手助けできないらしい言い草だった。スルガは慌てて叫ぶ。
「ないないないない! 無理これ以上!」
しかし、仲間の返答は無情だった。
「でも行っちゃったもんは仕方ないですよねー!?」
「ですよねー!」
「うわああああ!」
無我夢中で敵のピッケルをかわし、スルガはカタールを叩き込む。
遠くから、他人事のような後衛陣の声が聞こえてくる。
「おお……耐えてる」
「避けてる避けてる」
悠長な事を言ってないで早く処理して欲しいが、それを訴えるだけの余裕がない。惨めな前衛の辛さなんて後ろには一生分からないだろう。涙を堪えながら、スルガは敵に切りかかる。
彼らとて、別に遊んでいるわけではない。後衛の圧倒的な追撃が無ければ、こんなに大量の敵を相手にすることは不可能なのだ。その詠唱を、邪魔されないために自分たち前衛は身体を張らねばならない。そんなことは分かっている。分かっているが、今まさに自分の鼻先をかすめるような速度で振り下ろされるアンデットたちのツルハシを、次から次へとかわし続けていると、まるで戦場の中で自分だけが悲惨な目にあっているような錯覚に陥ってしまう。
あと何秒このまま持ちこたえればいいのか、味方の陣を意識した瞬間、スルガの視界の隅で黒の法衣が揺れた。ツイードだ。後方に来た。彼が詠唱の体勢に入ったのが分かる。
(回復きたッ)
スルガはそれを目の端で確認すると、フライングで思いきり敵の懐に踏み込んだ。自分が攻撃を受けても確実に相手の急所を突けるだろう一歩を。
凶器がこちらに迫ってくる。ツイードが叫んだ。
「――“グロリア”!」
その声に驚いて、しかしスルガの身体は聖力の効果を受けてより精密に動き、刃は深くに切り込めた。一撃を受け、よろめいた敵の爪は本当にスルガの、目の、まん前を通っていった。避けて反射的に前へ転がれたのは計算じゃない、ほとんど運だ。モンスターの背後を取ってから、止めていた息を吸い込む。
(グロリ!? んな馬鹿な、先ヒールだろう、俺、血まみれなのにッ)
アンデッドの背中に一刺ししたカタールを抜きながら、スルガは自分の支援を行っていたツイードの方を振り返った。
視線が合う。
彼はこちらに気付いて満足そうな顔をした。「なんだ、やればできるじゃないか」と、言わんばかりの目。
その瞬間、ふいに、いつかの夜かわした会話の内容が、頭に浮かんだ。
―― 『当たったら死ぬだろうけど』
―― 『確率は半々かな、みたいな』
まさか。
後からツイードが唱えたヒールに、スルガの体は僅かばかり回復した。囲まれていた敵を一掃したわけではないから、モンスターがひっきりなしに襲ってくる。
(ああ…、ツードさんが、笑ってる…)
ツイードの口元は楽しそうに歪められていた。
それはプロンテラの街中で見せる愛想のいい顔とはまったく違う、とても強気で『慈悲深い』笑みだった。
左後方から飛んでくる爪をかわしつつ、スルガは複雑な気分になる。
(いや…まあ、結果的には、オーライなんだけど……)
なんだろう、この扱い。あんな顔、普段は見せる男じゃない。今までだって、彼のこんな表情は見たことがなかった。もしかして、自分だからなのか? これを特別扱いといっていいのかどうか、スルガは眉を寄せる。戦闘中にそんな考え事をする脳の余裕はなく、一端思考を強引にリセットした。
集中してカタールを振るえば敵の数は徐々に減っていく。数さえ減らすことができれば、サシで負けるような相手ではない。やがて修羅場も落ち着いて、少しした頃に遅れて応援が来る。あちらも敵が殲滅できたのだろう。
こちらの戦闘に加わりながら、仲間たちは、殆ど片付いているモンスターの様子を見て、スルガを適当に褒めた。
「おー、やれば出来るじゃん、スルガ」
「いい子、いい子」
全員でかかれば、清掃もあっという間だった。
「いやー、沸いたなー」
増えたほうはスルガに任せたくせに、スミが一仕事終えた後の笑顔で汗を払う。
「ちょ、やったの俺だって」
「ほんと、沸きましたねー」
リーシャがスルガの言葉を遮るように微笑んで言った。わざとだ。それに皆が笑い出す。
「もう駄目かと思ったもんな。主にスルガが」
「よく耐えたよ、お前」
「ほんとにねー。ツードさんがいてよかったねー」
彼らがこちらの応援に来るころにはツイードからのヒールも無事スルガに届いていたため、彼のとんでもない所業を知る者はいないようだった。前線の一瞬で下した危険なギャンブルなんかそ知らぬふりで、ツイードはいつも通りの態度だ。「愛のチカラよねー」などとマリアが彼をからかうと、「なに言ってんですか、マリアさんまで」と苦笑する彼は、まるで好青年のようだ。
戦闘中見た、あの微笑みはどこにもない。匂いさえしない。
ツイードが、あんな笑い方をすることを、スルガは知らなかった。
(……この人、もしかして)
いや、別に、彼のことを清廉潔白な真面目一徹だなんて、思っていたわけじゃない。
どこまでいっても、あの溜まり場にいるプリーストなわけだ。彼も、普通のギルドやパーティーに入りこぼれたからあそこに来ているくちのはずで、そんな人間だというのは、理解していたはずで。むしろある意味、期待を裏切らない行為だったかもしれないわけで。
(なに言ってんだ俺)
そもそも、事前に彼が言っていた話が、単に本当だっただけのことだろう。ツイードは戦闘中にそういう選択をする、と、彼自身が前もって言っていたではないか。
どこか本気にしていなかったのは、スルガのほうだ。どうせ冗談の類いとして聞き流していた。誇張表現か何かだろう、と。
スルガが想像していた――いや、妄想していた――高潔なツイード像というものが、普通に裏表のある人間的なプリースト、という情報で上書きされた。
彼は、他の連中となんら変わりなく、大人として決して優等生とはいいがたい、というかむしろ結構ダメな部類の、スルガと同類の人間なんだろう。
知らなかったわけじゃない。そんなこと、分かっていた。今の今まで、忘れていただけだ。
(う、…浮かれてたァ…)
ふいに、ツイードと目が合って、彼はまた、スルガに微笑んで見せた。
その微笑は、戦闘中のそれの邪悪さに比べれば、全然なんともない普通の彼の表情だった。
それを見た瞬間こそ少し憎たらしかったが、けれどもう次の瞬間にはその気持ちが消え、スルガはむしろいっそ嬉しいとさえ思えて、彼に微笑み返した。
この場で彼の笑みの意味を知っているのは、たぶん自分だけと思えたからだった。
彼の眼が言う心の声が、少しだけ理解できるような気になっていた。