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 シャワーは先にスルガに貸したけれど、彼はすごい速さで濡れて帰ってきた。本当に水でも浴びたのかと思うほどの時間だった。ツイードがタオルを用意してから、シャンプーの位置を教えようとシャワールームに顔を出したときにはもう、スルガがそこから出てきている最中で、「分かりました?」と聞けば、スルガはタオルを受け取って目をパチパチとしただけだった。

 

 ツイードは特に言及することもなく、自分も適当にシャワーを浴びてすぐに部屋に帰ってきた。

 その時には、スルガは首にタオルをかけたまま、ベッドに座り込んでいた。

 

「すっ…………ご、かった………」

 両手で口元を覆いながら、ベッドに腰かけたスルガが大きな吐息と共にそう吐き出す。ツイードはまだ濡れたままの髪をタオルで拭き上げていた。

「そうですか」

 

 服を脱いだスルガを、初めて見る。下はもうアサシン装束のそれを身に着けてしまっているが、上は素肌がむき出しの状態だった。服の上から見て細い身体つきだと思っていたけれど、脱げば結構、硬そうな肉質をしている。

 

(前衛なんだし、当たり前か)

 

「え、微妙でした…?」

 驚いたスルガが顔を上げる。ツイードは空想から我に返って「へ」と彼に答えた。

「いや、『そうですか』って」

「ああ、いや。すっごかったですね」

「余裕じゃん、嘘でしょ、俺もうパニックでしたよ」

 

 自分も大概だったけれどなぁと、ツイードはさきほどの時間を思い返す。部屋の荷物の中から、着る物を探しながら彼に尋ねた。

 

「スルガさん、泊まっていきます?」

「ええ!?」

 上に着る服を用意するかしないかの判断を仰ぐつもりでツイードは聞いたけれど、それにスルガは飛び上がるような大声を出す。

「泊まるのって、有りなんです!?」

「……まあ、狭いですけど、ベッド」

「いや! 全然大丈夫です! 床で寝れます、俺」

「床で寝るなら帰りましょうよ」

 言いながらツイードが薄いシャツを差し出すと、スルガは受け取ってすぐ頭からそれをかぶった。

 服を着てしまえば、スルガの体は着痩せするらしい。惜しいことをしたかもしれない。

「なんか…」とスルガがぼそぼそ口ごもる。隣に腰かけて、ツイードはスルガを見た。

 

「ツードさんって、やっぱめちゃくちゃ上手いんですね」

「え? なんで?」

 セックスの手腕に関してどうこう評価されたことは今までにない。というか、この手の話を本人にするなんて、このアサシンのデリカシーはどんな構造をしている? ツイードは自然と笑ってしまう。

「なんか、前情報ありました?」

「いや、ないですないです」

 スルガは大きく手を振ったあと、気まずそうに視線を斜め下のほうに逸らせた。

「俺の妄想……」

「はは! やっぱ妄想してんじゃん。なーにが一生しなくてもいいですか」

「しなくても妄想は自由でしょう!?」

 予想通りというか、スルガは本当に期待を裏切らないから可笑しくて堪らない。

 しばらくツイードが笑っていると、スルガは「そこまで…?」と眉を寄せて訝し気な目でこちらを見ていた。

 

 ふう、と息を付ける頃には、物言いたげなスルガの視線も幾分か落ち着いていて、ツイードはゆっくりその視線に目を合わせ、緑色の瞳の色を味わった。

 

「……なんか、思ったんですけど、」

 ぽそりとツイードが呟けば、「ん?」と微笑んでスルガが首を傾げる。

「スルガさんの好きって、心地いいですね」

 え、と彼は口では言ったが、顔は嬉しくてにやけてしまったようだった。

 それすら、可愛いことのように思えて、ツイードは言葉を続ける。

「夕方までは、それがぬるま湯みたいで、すっげー居心地悪いなって思ってたんですけど。もしかしたら、ずっと浸かってたいだけかも。逆に、出たら風邪引きそう」

 彼の視線は、彼の愛情に似ている。それを一身に受けていると、スルガの感情を、そのまま浴びているみたいだ。

「クセになっちゃいますね」

 緩く微笑むと、スルガは段々と顔を赤くしていった。

「俺は……ツードさんのそれのほうが、数倍……クセになると、思いますけどね」

「……俺のどれ?」

 いや、それですよ、それ、とスルガは言ったが、なんとなく分かる気持ち半分、彼が好きなそれは本当に自分なのかなぁ思う気持ち半分だった。

 

「ってか、夕方までは、気持ち悪かったんです……?」

「いや、まあ。今は違いますけど、ぶん殴ってやろうかと思ってましたよ」

「なんで!? そんなにです!?」

「ほら、くすぐったい時って、殴りそうになるじゃないですか」

「なるかなぁ!?」

 はは、とまたツイードが笑えば、スルガが不満そうな満足そうなわけの分からない顔のまま、やがて口を閉じた。

 

(結局、俺も欲求不満で頭バグってたのかも)

 

 ほんの夕食前までは、あんなかき乱されていた感情が、今では嘘のように凪いでいる。

 仕方なかったとも思えるし、もう少しなんとかしようがあっただろうとも思える。反省と同量程度の開き直りが、いつもの自分の塩梅で心の中を占めていて、今は平常心を保てているんだなと客観的にツイードは思った。

「ねえ、スルガさん」

 呼びかけるとスルガは目を合わせてくる。

 今はずっと、それを眺めていた気分だ。

「これからは、俺と飯食いたい時とか、飲みたい時とか、一番最初に、俺に聞いてください。教えますから、スルガさんには」

「へ」

 スルガはしばらくぽかんとしていたが、ツイードがその様子さえ穏やかに眺めていると、やがて照れたように申し訳なさそうな顔をした。

「そうは……してるつもりなんですけど、もっと、努力します」

 

 あれでそうなのか、と思いはしたが、まあそうだろうなと理解する気持ちもあった。

 じゃあいっそ、誰の側にも行かないでくれ、という感情がふと湧いたが、さすがにそれは言わなかった。むしろ、自分がそう思ったことに、ツイード自身が驚いた。

 それは、さっきの情事の最中に感じた、抱きたい欲求の延長線上にあるものかもしれなかった。

 

「……なんかごめんなさいね、俺、こんなで」

 思考を巡らせれば巡らせるほど、自分という人間がとことん碌でもない奴のように思えてきた。

「見捨てないで付き合って下さいね」

 するとスルガは、心外だという顔で、真正面からいつもの調子で答えてくる。

「見捨てるって…またそれ、わざと言ってんでしょ。するわけないでしょ、俺が、先に好きだって言ったんですよ」

 

 目の前に、スルガがいる。

 自分のベッドの上で、自分の服を借りたスルガが、自分の事だけを見ている。

 そのことに、こんな心地よさを見出す日が、来るとは思っていなかった。

 

「んー。スルガさん、やっぱいいなぁ」