7-2

 

 今日はツイードが教会の用事で溜まり場に来ない日だった。だからなんとなく仕事終わりに飲まずに帰ってきたけれど、仲間たちの会合に顔を出せばよかった、と一人で食事を取りながらスルガは思う。

 自分の空腹の為だけに、自分で自分に食事を用意するのが何だか徒労のように感じられる。定宿の食堂でメニューを注文するだけのことなのに、なぜこんな面倒さが伴うようになってしまったんだろう。

 

 頼んだラザニアを淡々と口に運び、黙々と麦酒を飲み込んでいると、ジョッキは瞬時にカラになった。咽喉が渇いていたんだろうか。

 

 追加の酒を注文したタイミングで、スルガの隣の椅子がガタリと引かれた。

「よう、景気いいな」

 許可なく勝手に同席したのは、溜まり場の仲間の一人、アサシンのライオネルだった。

 無造作に伸ばされた薄紫色の髪もそのままに、装束を緩く着こなしたそのアサシンは、見かけ通りの雑さで、ドカっと椅子に腰かける。

「よう。今からメシ?」

「まあな、羽振りいいなら奢れよ」

「やだよ」

 テーブルの皿を少しよけて彼のスペースを作ってやりながらも、スルガがライオネルの無茶な要求をはっきり拒むと、彼はケケっと笑ってから、片手を上げて店員を呼びつける。

「キドニーパイと、ビール。黒な」

 

 久々にこのアサシンの姿を見た。今までどこに行っていたのかは知らないが、様子を見ると変わりもなく冒険者をやっているようだ。

「お前、スミが探してたよ」

「まだやってんのかあの女」

「そりゃ探すだろ、顔見せなくなったら」

 溜まり場の仲間たちは、彼らのことを恋人だと思っているが、それはスミからの見解で、この男の方からの認識ではそうじゃない。けれどそういうのも含めて、一つの恋愛関係のありようなのかな、とスルガは思っている。結局、どこまでも本人たち同士の話でしかないから。

「ケッ。くだらねえなぁ。やっぱアサシンでも駄目か。首都の女はゴミぞろいだ」

 

(そうかなぁ)

 何を、どこと比べて? そういう疑問がスルガの頭に浮かぶが、この男に聞いても回答は得られないだろう。

「アイツのせいで溜まり場にいけねえじゃねえか」

 まるで借金取りから逃げ回るようなライオネルの態度が、スルガには少し不可解だった。

「だったらちゃんと別れろよ」

「ハイ?」

 関係の解消を宣言するだけで、その煩わしさは簡単に消えるのでは、とスルガは一瞬考えたが、『いや、まあそんな簡単なことじゃないか』というようなことはすぐ理解できた。しかし言い訳は遅れ、ライオネルは片眉を上げたまま、疑念に満ちた視線を寄越す。

「お前までンなこと言ってんの? 茶番だろ、あんなの」

 いつものライオネルの言い分が始まってしまう。

「バカみたいに薄ら寒い、ごっこ遊びの子供だましだ。なにマジに取ってんだよ。お前だって分かんだろ。あっち側の言い分みてえなこと言ってんじゃねえ」

 料理の到着も待てずに、アサシンは煙草に火を付けた。大きく吐かれた煙のせいで、彼の感情まで霞んで見える。

「……そっか」

 

 ライオネルがこんな風に本音のようなものを吐露するのは、仲間内じゃ自分にだけだ。スルガはその自分にかけられた信頼の根拠が、ライオネルいわく『スラム育ち』というところにあるのが、いまいち腹に落ちていない。

「俺、よく分かんないけど」

「分かれよ、クソ馬鹿」

 確かにモロクの、ここよりは治安のよくない場所で育った。でも生まれはアマツだ。砂ぼこりまみれの風景も、松が植わった浜辺の風景も、どちらも明確に思い出せる。

 ライオネル同様、幼少期は両親が家にほぼ居ないような家庭環境だったけれど、自分は家の中のパンを盗って食べても、めったに殴られなかった。

 あれをスラムと呼ぶのかどうかも分からないし、あの経験が自分に何か特別なスキルを与えたのかどうかも分からない。

 そしてそういう育成環境が、『恋人関係はすべて茶番だ』と思うような精神性と、何の関係があるのかなんて、それこそまったく分からない。

 ライオネルが自分のことを仲間だとみなすその信頼感こそ、なにかそういった類いの別の幻想じゃなかろうかと思いはするものの、彼のそれを無闇に裏切りたくないという気持ちも働いて、スルガは上手く返事ができなかった。

 

「……嘘でも、別によくない?」

「ハ、騙せって?」

 ライオネルが、鼻で笑う。

「騙すっていうか、そんな風にも思わないだろ、たぶん」

 

 ライオネルの言っている言葉の意味やその価値観が、本当はまったく理解できないわけでもないから、スルガはこの混乱を自分の内側に向けるしかなかった。

 スラム出身の自分と、アマツ出身の自分を、都合よく使い分けることが、なんだかできない。

 簡単なことのはずなのに。ライオネルの前では調子を合わせて世界の偽善を笑い、スミの前では不義理を非難し彼女の背を撫でる――そう、できるはずなのに、なぜ自分はそうしないんだろう。

 

東通りのさ、ホットドッグ屋、あるじゃん」

「あ?」

 ライオネルは眉をしかめたものの「あるな」と返事をした。この男の、こういう所は好きだ。

「あそこさ、看板に『世界一ウマい!』って、書いてあんじゃん」

「……」

「あれってさ、嘘とか……思う?」

「何が言いたいんだテメェ」

 ライオネルの視線は鋭かった。

 スルガは自分の思考回路がいつのまにか、ライオネルとスミの関係に留まらず、もっと曖昧な、すべての人間関係の名称について感じていることへ、ふわふわと漂い流れていってしまったと気づいたが、もう話の収束のさせかたが分からずそれを続けて言うしかなかった。

「いや、なんつうか、ああいうのに、騙されたとか、そういうのないじゃないかなって」

「それとあの女の何が関係あんだよ。お前、相変わらず、なに言ってんのかサッパリ分かんねえな」

「え? 俺、今なに言ってんのか分かんないこと言ってる?」

「ぜんぜん分かんねえ」

「マジかぁ。俺、ヤバいな」

「ヤベえよ、テメェは、前からずっと」

 

 また、自分の中にあった何かの感情が、言葉にならないまま拡散していくのが分かる。でも、それをつかみ取る手段がスルガにはない。ずっとこういう意思疎通の困難さが、何故か自分の人生に付きまとっている。

 

 この後いつものようにライオネルから「腕は良いんだからシャンとしろよ」「クソボケだから貧乏くじ引かされんだよ」と説教をくらうのだろうし、その時の自分は「ああ」とか「うん」とかしか答えられないんだろう。この思考の停滞から、抜け出せる明確なビジョンが、スルガにはない。

 

 

(……ツードさんなら、分かってくれんのかな)