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 熱いシャワーが、豪雨のように頭に降り注いでいる。

 それを一身に浴びていると、いつも思考がリセットされるような気になった。こういう原始的な手段は日常にどうしたって必要だ。身体の感覚を呼び起こさないと、地に足がついている感じがしない。

 子供の頃は、風呂が嫌いだった。服を脱ぐからだろう。でも大人になってからは好きだ。素手でも、裸でも、大丈夫になった。

 

 冒険者になってから、自分は本当に自由になったとスルガは思う。

 ナイフの握り方を覚えて、拳の振るい方が分かって、“頭”がスッキリしていく感覚があった。

 身体能力があがるたびに、何か潜在的な恐怖のようなものから解放されて、ずっとそれに容量を取られていた脳みその思考回路が、どんどん自由になっていった。そして解放されていく頭の領域を埋められるようなものも見当たらず、今までの人生で、そこはずっと空っぽだった。そんな気がする。

 

 ツイードのことばかり考えている最近は、もはや何もなかった頃の自分が何を考えていたのか、思い出せない。もっと昔の、何かで頭がいっぱいだった頃の自分のことは、もっと思い出せない。シャワーが嫌いだった理由も、記憶は薄れる一方だ。

 あれも確かに自分だったのに。幼い時の感覚は、未だに自分の奥底で息をしている。今の自分は確かにあの頃の自分の延長線上にいる。なのに、どんどんと、思い出せなくなる。

 自分がどこから来たのか分からなくなって、まるで迷子みたいだ。

 

 こういう時に熱い湯を頭からかぶると、今の『この瞬間』に帰ってこれるような気がして、だから大人になってからはシャワーが好きだった。

 

 

 シャワー上がりに、タオルで頭を拭き上げながら、スルガは窓辺に腰かけ水を飲んだ。

 窓の外は、灯りもほとんどない首都の夜道だった。

 火照った体に、冷たい水が心地いい。

 

 今のスルガは、こういった全部をツイードに共有したい。風呂上がりには放置せずタオルで髪を拭いたほうが翌朝に便利、だとか、水を飲んだほうが頭が痛くならずに済む、だとか、そういった自分の生活で得た知恵を、ぜんぶツイードに教えてやりたくなる。

 そして、これらすべての情報を、すでにツイードが当たり前のように持っていることも、本当は分かっている。

 こんなことを彼に伝えれば、呆れられるだろう。自分にとっての精一杯の知識が、彼にとっては取るに足らない常識だ。簡単に、見捨てられてしまう。

 

(ぶん殴って、別れたくなってたって、言ってたもんなぁ……)

 

 自分の行為が、彼をどうしようもなく苛つかせていることに、スルガは薄々気が付いている。でも、『何に』とか『どうして』とかいうところまでは分からない。人生のように、霧がかかったままだ。

 

 ベッドサイドに置かれたままの自分の荷物は、袋ひとつだ。

 ここに来た仲間は、以前これを少なすぎると言った。彼らのいう事のほうが大抵は正しいから、おそらくこれは少なすぎるんだろう。

 でも、これが今の自分の全部だ。

 タオル、布、包帯、麻の紐、いくつかのポーションカタールの手入れ道具、血豆が潰れたとき用の薬草の軟膏、いつかに女の子から貰ったクッキー缶、それを貰う前に買った乾パン、変な期待をして買った潤滑クリーム、勧められて買わされたけれど使い方の分からない皮を磨く道具。すべて手に入れた経路がはっきりと思い出せる、自分の一部。そして全部だ。

 これっぽっちじゃ、好かれようがないことは、分かっている。

 足りない何かがなんなのか、分からないし、多分自分の本音はそれを探していない。今の自分が、事足りているように、思ってしまう。

 

 関係を持続させる努力、

 ごっこ遊びの茶番、

 念願叶った初恋、

 殴って別れたくなる、

 どの言葉も理解できるし、けれど同じように自分から距離がある。

 離れているからこそ分かるのかもしれない。自分の近くにあるものほど分からなくなる。自分とツイードの関係値は、どれが真実なのか答えが宙に浮いたままだ。

 

(俺って、いつかフられんのかなぁ……)

 

 あるいは、それ以前の話なのか。

 恋人の事を想う多幸感と、それに伴う不安感は、まるで砂漠の影だ。日の光が強い日ほど、影に入ると眩暈がするほど何も見えなくなる。

 幸運で得た幸福だからこそ、簡単に去りえてしまう。

 そして、こんな不安だって、全部がほとんど妄想に近い幻想だと本当は気付いている。

 

(ツードさんに、触りたいな、はやく)

 

 皮膚の感覚が欲しい。そういう、直接的な感覚じゃないと、日常が取り戻せないから。